イッセー尾形

巨匠とマルガリータ、でしたっけ、ブルガーコフ。その原作があるのかなと最初の内は思ってましたが、その内にどうでもよくなってしまいました(笑)。
インドにハマった頃のジョージハリソンを老けさせて、より神秘的になった主人公。
この人なら何が起こっても不思議じゃない。

ついて行きます。音楽と共に。
記憶と想像という誰しもが持っている普遍的なモチーフ。
そのせいでしょうか、セリフのやりとりですが、それ以上の、まるで格闘しているようなコミュニケーションを感じました。汗まみれです。
ぜひこれからも記憶に消せない映画を目指してください。

佐野史郎

ロシアの陰影のなかに井上雅貴監督は

能の幽玄の世界を観てしまったのか?
 世界は死者の見た夢であることを教えてくれ、

まだ見ぬ人たちに救いを伝える永遠の愛の映画だ。

映画監督 石井岳龍

「ここ、そしてここでない場所」 

既視感はないが、確かに現在の、リアルなロシアのどこかの

地方都市の街角を背景に、疲れた父と妖精のような少女と、

そしてその地に根ざして生活の悩みをかかえた人々が登場し、

人間の「記憶」を巡るスリリングで幻惑的なドラマが展開する。

映し出されるすべての空間や人間たちはとてもいとおしく

リアルでありながら、しかし、巧妙な映画的仕掛けの駆使により、それらは現実世界のどこにも属さないかのような不思議な

浮遊感に包まれだし、いつのまにか、観客の私たちを異次元の

映画体験に誘い込み、私という意識や世界存在の認識の

根幹にさえ揺さぶりをかけるに至る。
 井上雅貴監督は、ロシア人のパートナーと、その間に授かった

愛娘との絆を源に、愛情に溢れた、最小限のミニマムな体制による、非常に密接で入念で丁寧な、そして濃密な共同作業により、

ファミリー・ドキュメンタリーとは最も遠い本格的なSF的幻想作品、オリジナリティ溢れる独自の豊穣なフィクション映画を、

持ち前のマイペースの粘り強さで創り上げた。

日本映画でもロシア映画でもない、今までに観たことがない

新鮮なボーダーレス映画の誕生と、この作品の持つとても

大きな可能性を心より祝福したい。おめでとう!

東京大学 文学部 スラブ文学者  沼野充義教授

人間の記憶とトラウマを、SF的というよりはむしろ哲学的な想像力によって追求した、心の奥底への驚くべき旅。ソクーロフに学んだ映画のビジョンと、舞台となるロシア地方都市ヤロスラヴリの不思議な風景があまりにも鮮烈で、心に焼き付く。

ロシア文学者 東京外国語大学大学院教授 沼野恭子

『レミニセンティア』を称える

だれにでも消してしまいたい記憶がある。

それなのになかなか忘れられず、苦しい思いをする。

逆に忘れてはならない過去というのもある。

それなのにいつのまにか忘却のかなたに溶けてしまっていたりする。

忘れていた過去をふと思い出すことだってある。 
いったい記憶とは何なのか。記憶に振り回される人間とは何なのか。 
ただでさえ捉えにくいこの「記憶」という代物を、視覚的に提示しようというのが井上雅貴監督の野心である。

だからなのか、どうしてもアンドレイ・タルコフスキー監督の作品が思い出されるが、『レミニセンティア』にはミステリーのようなスピード感があり、小気味よい物語展開は最後まで飽きさせることがない。

古都ヤロスラヴリや少女ミラーニャも息を呑むほど美しく魅力的に描かれている。
もうひとつ重要なのは、芸術家の創造と記憶・夢との関係だろう。

作家である主人公ミハエルは人の記憶を消してそれを自分の小説に生かす。

人の記憶を操作するという意味で「神」に近い立場に立ってしまうのだ。

そして彼はついに自分自身の記憶に異変があることに気づく。
日本人監督がロシアを舞台にロシア語で制作したこの作品。

SF的エンターテインメントの要素とロシア的な深い思索を促すシリアスな要素が絶妙な具合に融合している。

聞けば、井上監督はアレクサンドル・ソクーロフ監督のもとでスタッフとして仕事をしていたという。

国境を越えた新しい作品の誕生を喜びたい。